ばばライフ
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終活

そろそろ「終活」の準備、まずは「お葬式」について考えてみました

そろそろ、元気なうちに「終活」について、準備をしておかなければと、考えているおばばです

同年代の芸能人の方の逝去のニュースや、身近な方の死に直面すると、自分の寿命もそんなに長くはないと、実感しますね

身辺の片付けも、「シンプルライフ」を目指して、「断捨離」を少しづつ始めていますが、今回は、「お葬式」について、考えてみようと思います

いまでこそ話せる「お葬式」の話

1984年に伊丹十三監督の「お葬式」と言うタイトルの映画が公開されました

これまで厳粛な儀式であったお葬式を初めて取り上げた作品である。初めて出すお葬式に右往左往する家族と、周囲の人びとの姿をコミカルに描いた。そのため暗いタイトルにもかかわらず作中には笑いが溢れており、そのギャップが大きな話題を呼んだ。
公開当初は縁起でもない題材を取っていたこともあって、誰も期待しなかったが、予想を超す驚異的な大ヒットを記録し、日本アカデミー賞を始めとする各映画賞を総なめにした。
伊丹が妻・宮本信子の父親の葬式で喪主となった実体験をもとに、わずか1週間でシナリオを書き上げ、自身の初監督作品として撮影した。

昔から、人の死を弔う厳粛な儀式には、誰も触れてはならない、「村や家のしきたり」や「暗黙のルール」があったのですが、それに、一石を投じて話題を呼んだこの映画は、強烈なインパクトがありました

その後、2008年、本木雅弘さん主演の「おくりびと」の映画は、皆さんの記憶にも新しいと思います

「故人の旅立ちのお手伝いをする、納棺師」と言う尊厳ある仕事の役を、本木雅弘さんが見事に表現され、バックに流れる荘厳なチェロの曲と日本の風景がとても印象的でした

こうした、映画が話題になったお陰で、ワンパターン化していた「お葬式」について、色々考えるきっかけが、出来た気がします

今まで、葬儀社のいいなりや、村や町内会がとり仕切っていたお葬式が、これからは、故人や家族の想いを形にするセレモニーへと変化しつあるのでは無いでしょうか?

同じ冠婚葬祭である「結婚式」も、かつては家同士の形のモノから、2人の為の儀式へと自由にカスタマイズ出来るようになってきましたので、これからは「お葬式」も、自由に選んで出来るのかも知れません

しかし、結婚式は2人が、時間をかけて色々プランを考える事が出来ますが、反対にお葬式は、そんなに時間をかけて考える事が出来ません

それに、主役はすでに死んでいるのですから、「生前葬」やプラン進行を事前予約しない限り、主役が、自分の為のお葬式であっても、自由に選択できる権利はどこにもありません

どんな「お葬式」したいのか?

ひと昔まで、私たちの親世代あたりまでは、「お葬式」は、ただの弔いの儀式ではなく、生前その人がどれだけの財や力そして、人脈等があったのかを示す「家の物差しみたいなモノ」でもありました

だから、無理をしても、大きい葬式をすることが、ステイタスであったので、地域の中で見栄の張りあう事もあった様です

特に、田舎では自分の葬式の時のことを考えて、家で葬儀をする為に、仏間を大きくとった間取りの家を建てる人もいました

義理の父もそんな考えの1人で、葬式の為の家を建てて

義理の父
義理の父
ここから、弔問客が入って・・・

などど元気な時によく聞かされていました

しかし、義理の母は

義理の母
義理の母
家で葬式をするのは大変だから

と言って、当時地域で流行り出した、公民館での葬式にあっさり、変更していましたが・・・

今は、葬儀会館でお葬式をするのは、当たり前になりました

ホントに昔のお葬式は、家ですると、家族は勿論ですが、近所の隣組や自治会の役員の人も炊き出しやら、接待やら、葬儀全般を取り仕切る葬儀委員長等、お互い様なのですが、大変な儀式でした

しかし、今は葬儀社の社員やセレモニースタッフが、万事滞りなくお葬式を、粛々と時間通りに、一連の流れを進めて行かれるので、深く考えることもなく、終わってしまう気がします

いいのか悪いのかは別として

終活も色々考えて、決めないといけない事がありそうですね

おばば
おばば
ではまた